11月21日に公開が迫った矢沢永吉のドキュメンタリー映画『E.YAZAWA ROCK』。本作が、今年60歳という人生の大きな節目を迎えたロックンローラ―、矢沢永吉の人間としての魅力を描ききった貴重な映像体験であることは、作品を見た人なら誰もが口をそろえるはずだ。監督は約30年前にも『矢沢永吉 RUN&RUN』を製作し、その後も数々の傑作を製作してきた増田久雄氏が務め上げている。35年にも及ぶ長い映画製作人生の中で初監督作に挑んだその増田氏に本作の魅力を語ってもらった!(取材・文  飯塚克味)

「永ちゃん、もう一回、映画やろうよ」

―― 80年に『矢沢永吉 RUN&RUN』を製作していますが、再び矢沢永吉氏を題材に映画が作られることになったのは、どういう経緯があったのでしょう?

まず“映画”という手段を取ったのは僕が映画屋だからですよ。“映画”じゃなかったらやらないし、永ちゃんと話した時も、これは映画館でやるんだ、ということでスタートしました。それとテレビのドキュメンタリーみたいなもの、あるじゃないですか。ああいうのを見ていると違うなと思う事が随分あるんですね。具体的にどういうことかというと、テレビの表現って、何かとナレーションで説明するじゃないですか。例えば、永ちゃんがお弁当を食べているところで、箸の包み紙を折っているところを見せると、几帳面だっていう訳。見ていれば分かるのに、なんでわざわざ言わなくちゃいけないのか?そういうところが表現のやり方として違うと思ったんです。あとは矢沢永吉という男は、大きい画面で見た方が、彼らしさが出ると僕が信じているからですね。やっぱりスクリーンじゃないとダメなんです。

実は2年前に永ちゃんと20年ぶりくらいに会って、一緒にお酒飲んだりしている内に、『矢沢永吉 RUN&RUN』の話になって、もう一回見たいね、という話になったんです。でもDVDで簡単に見るのはどうも気が向かなくて、「どうせ見るなら、ちゃんとスクリーンで観ようよ」ということになった。それでイマジカの試写室を借りて、二人で観たんです。久しぶりに観て、二人で「30年近く前の作品なのに、よくできているね」となった。暗い客席で二人だけが観ていて、スクリーンの中には30歳の若い矢沢永吉がいて、隣には60歳にならんとする矢沢永吉がいる。そこでこの人、30年経っても変わっていないな、ブレていないなと思えたんです。でも見ていると変わっているなと思える部分もあるんですよ。何が変わって、何がブレていないのかーーそれは何なんだろう?  そう思った時、もう一度矢沢永吉という存在を追いかけてみたいなという気持ちが、沸々と湧いて来たんですよ。それで「永ちゃん、もう一回、映画やろうよ」という流れになったんです。

―― 増田さんは普段プロデューサーという立場でお仕事をされ、前作の時もプロデューサーでした。今回、監督まで務めようと思ったのはなぜだったんでしょう?

矢沢永吉って特別な人なんですよ。非常に普通の人でもあるけど、特別な人でもあるの。今までプロデューサーをやってきて、脚本も書いてきたんだけど、もし監督を誰かにお願いしたとしたら、自分はその人と永ちゃんの間に入って、通訳してあげないといけない局面がいっぱい出てくる訳。それなら自分でやった方が早いなと思えた。それとやっぱり矢沢永吉が何を考えているか、どうしたいのか、矢沢永吉の何がカッコいいのかって知っているのは、どこかから連れてきた監督よりも、絶対僕だなと思った。永ちゃんも「マッちゃんがやっていいんじゃない」と言ってくれたし。それに30年前の未使用フィルムのこともある。あの画の内容を詳しく知っているのは僕だけなんです。まあ一番の理由は僕がやった方がいいとすごく思えたことですね。(笑)

矢沢自身が「作ったらお客さんにすぐバレるよ」って分かっているんだよね。

―― 録音スタジオでの様子など、矢沢永吉という人物を今まで以上に身近に感じられました。劇中、「英語ができたら日本のロック史は変わったかも。でも神様は全部はくれないんだよね」と言葉にも、深みを感じられました。増田監督は30年前と比べ、どういった点に矢沢氏が変わったことを感じたのでしょう?

 言っていることの本質は変わらないんですよ。表現の方法が変わっているのね。それは人として、いい意味で熟成されているってこと。野球のピッチャーに例えると、若い内はバッターを三振にするため、直球だけで勝負していた奴が、ベテランになってくると投球フォームとかは変わらないんだけど、カーブやチェンジアップを覚えたりしてくる。虹の中に七色があっても、虹色というでしょ。そういうことが永ちゃんにも当てはまると思うんだよ。きっと30年前なら「神様は全部くれなきゃおかしいよ」と言っていたかもしれないけど、でも今はそうならない。悟りの境地に入ってきたとも言えるんじゃないかな。

――それは60歳という節目の時期を迎えたことと関係ありますか?

そうですね。それが永ちゃんが伊達にその後の30年間を生きてきた訳じゃないってことにつながるんです。それと永ちゃんの場合、表現力がすごく豊かなんですよ。言葉のボキャブラリーの豊富さとか、的確な使い方とか、あれは永ちゃんじゃないと吐けないよなとか思う事ってずいぶんありますよね。60歳になっても、「ロックンロールやれる」「メロディが書ける」「そのことに感謝」ってことは誰だって言えるでしょうけど、そこで「ケツ振れる」って一言が入るじゃないですか。あれがいかにも矢沢的でいいんですよね。昔から表現力の豊かさってあったんだけど、別に計算している訳じゃなくて、30年間のあいだにいろいろ身に付けたんだろうね。だから矢沢語録みたいなものができてくるっていうのは、表現力の豊富さから来ていると思うんだよね。

――録音スタジオの場面ではバンドのメンバーとの会話や、手作りドリンクを手にする矢沢氏の姿も見られました。カメラの存在を煙たがるアーティストも多いと思うのですが、撮影班はどれくらいスタジオにはいたのでしょう?

それは居っぱなしですよ。そうじゃないと狙えないですもん。もちろんカメラが入らない時もあるし、そうした時に特化したことをやっていたかもしれないけどね。この作品では再現とかの作り込んだ映像はほとんどありません。やっていないのは、矢沢自身が「作ったらお客さんにすぐバレるよ」って分かっているんだよね。もしあの収録風景が作りでやっていたなら、それはそういう風に映っちゃうと思う。いくらうまくやろうとしてもどこかでバレちゃう。だからそういう選択は考えなかったです。

「ヤザワを追いきれていないし、自分もまださらけだし切っていない」

――矢沢氏自身は納得するまで撮影を続けたということですが、途中経過で納得できないと訴える局面などはあったのですか?

「ヤザワを追いきれていないし、自分もまださらけだし切っていない」と言ってきたことがあります。どこがどうという訳じゃなく、感覚的な人だから、それは感じるんでしょう。具体的なことは、きっと彼にも分からない。何かが足りない、と感じてる。僕たちにも分からない。だからそれを探るための新たな旅がまた始まる訳ですよ。それは終わりのない旅になるから、キツイことはキツイですよね。でもキツくても、そこまでやろうと言う矢沢永吉は本気になっているんだなと分かるじゃないですか。その本気は大事にしたいと思いました。

―― 草食系男子などという言葉が闊歩する時代だからこそ、この映画での矢沢氏の言葉は胸に響きます。監督としては時代性に配慮したりしましたか?

それはないですね。ただ矢沢永吉を追いかけていたら、結果として時代にスポットを当てることになったと考える方が正しいと思うんですよ。最初から時代にスポットを当てようと思っていたんじゃなくて。その質問で、正しいと思えるのは結果として時代にスポットを当てることになったのなら、じゃあ矢沢永吉を撮ったのは間違いじゃなかったんだなと確信できたことですね。

――撮影前、あらかじめ構成を組み立てていたと聞きましたが。

自分としてはこういう出来上がりにしたいなというイメージは持っていました。でもドキュメンタリーなので、それがイメージ通りに運ぶか分からない。だから撮影しながらどんどん変わっていきましたよね。ただ、最初に持ったイメージのコンセプトは変わっていません。例えば、矢沢が走ることで表現しようとしていたことが、それが走ることじゃなくて、歌う事になっているということは結果としてあるかもしれませんが。

お互いの信頼関係がなかったら、映画として成立していなかった

――撮影中、監督は矢沢氏とどのようなコミュニケーションを取ったのでしょう?

撮影中は、話はほとんどしませんでした。矢沢永吉という被写体と撮る側の距離というのは、乖離していたらうまくいきはしないんだけど、あんまり近すぎてもベタベタになって、“なあなあ感”が映画に出ちゃうんですよね。だから撮影中はプライベートなお付き合いは関係なくやっていました。それが結果的に本人の素を引き出すことにつながったと思いますよ。ある程度形ができてきてからは何度ももみ合いました。特にライブシーンなどは永ちゃんがプロですからね。永ちゃんがどれくらい信用してくれていたかは分からないけど 、お互いの信頼関係がなかったら、映画として成立していなかったと思う。

――カメラマンの瀬川龍氏は普段、本編(映画)を撮影されている方ですが、それも映画という事を意識しての選択だったのでしょうか?

瀬川龍君っていうのはね、元々、お父さんが瀬川順一さんという歴史に残る高名なカメラマンでドキュメンタリーの人なんです。彼は父親の仕事を見ているから、ドキュメンタリーの撮り方も知っているんです。僕はドキュメンタリーしか知らない人は嫌だった、でも劇映画しか知らない人ならそれも嫌だった。彼は臨機応変に撮影してくれたし、年齢的にも今50歳くらいだと思うんだけど、やっぱり矢沢の魅力をとらえるのに、30そこそこのカメラマンができるのかと言ったら、それも違うと思った訳。そういう総合的なところが一番良かったんじゃないですかね。もちろん70歳のカメラマンじゃ永ちゃんを追いかけられないだろうしね(笑)だからドキュメンタリーを撮っているんだけど、精神は劇映画を撮っているような感じでしたよね。

『E.YAZAWA ROCK.』を絶対他の人にも見せたくなるはずですよ

――現在映画館では『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』が大ヒット中です。日本では音楽ドキュメンタリーが映画としてなかなか成立しませんが、そのことはどう思われますか?

それは昔からそうなんだよね。外国のアーティストって身近に感じられないじゃないですか。だから音楽性だけで成立しちゃう。でも日本のアーティストなら身近に感じられるから、映画館に行くだけのものにはならないと思う。TVやDVDならありだろうけど、映画にならない。でも矢沢はアーティストとしてミュージシャンとして、音楽だけじゃない幅があるから映画として成立する。僕も彼の音楽だけを撮ろうと思った訳じゃない。生き様とか、人生を撮ろうと思ったんですよ。ハッキリ言って、矢沢以外に誰がいるんだろうって言った時に、いないとは断言しないけど、果たしているのかな?とは思えてしまう。

――この映画は熱狂的な矢沢永吉ファン以外にこそ見てもらいたいと思います。増田監督は一般の観客に向けて、どのような点をアピールしたいでしょう?

これは最初の話なんだけど、永ちゃんから「まっちゃん、この映画のテーマは何なの?」と聞かれたの。その時、僕は言ったの。「テーマなんかないの。カッコいい矢沢永吉を撮るだけだよ。それは、矢沢永吉をカッコいいと思っている奴には『やっぱり矢沢永吉はカッコいいな』と思ってもらいたいし、矢沢永吉を知らない人には『よく知らなかったけど矢沢永吉ってカッコいいね』と思ってもらいたい。それだけだよ」って。だから知っている人にも知らない人にも永ちゃんをカッコいいと感じてもらいたいんです。そうするとそこに”何か”の発見があるはずです。そして『E.YAZAWA ROCK.』を絶対他の人にも見せたくなるはずですよ!

 

プロフィール
増田久雄

1946年、東京生まれ。ヨットを通じて知り合った石原裕次郎の下で映画制作を学ぶ。1975年、㈱プルミエ・インターナショナルを設立。35年に及ぶ映画人生の中で、プロデューサーとして、脚本家(筆名:北原陽一)として40本に及ぶ劇場映画を発表し、若手の育成にも力を注ぐ。主なプロデュース作品に『あしたのジョー』(79年)、『矢沢永吉RUN&RUN』(80年)、『チ・ン・ピ・ラ』(83年)、『ロックよ、静かに流れよ』(88年)『高校教師』(93年)『ヒーローインタビュー』(94年)、『ラヂオの時間』(97年)、『みんなのいえ』(01年)、『13階段』(03年)、『g@me』(04年)など。
著書に『太平洋の果実/石原裕次郎の下で』『石原裕次郎の贈りもの』『デイドリーム・ビ
リーバー』『団塊、再起動。』『サンタクロースに会いました』などがある。

バックナンバー

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作品情報

『E.YAZAWA ROCK』

11月21日(土) 新宿バルト9 ほか全国ロードショー
コピーライト:(C)2009 映画「ROCK」製作委員会


製作・監督:増田久雄
監修:矢沢永吉
プロデューサー:村山哲也
アソシエイト・プロデューサー:藤田俊文
撮影:瀬川龍
録音:高橋義照
整音:瀬川徹夫 
編集:熱海鋼一

製作:映画「E.YAZAWA ROCK」製作委員会
(東映/プルミエ・インターナショナル/トムス・エンタテインメント/東映ビデオ/ラテルナ)
製作プロダクション:プルミエ・インターナショナル 
制作協力:音 
配給:東映