日本一の適当男として国民的な憧れの的、高田純次が、平凡パンチ名義でアーティスト活動を開始! ファーストシングル「ケメ子の歌」のミュージッククリップの相手役をスカウトするため、マイク片手に街に飛び出して適当オーディションを敢行。その模様を完全収録したのが、DVD「完全適当版 高田純次のアイドルを探せ!~ケメ子は何処に!~」だ。還暦を越えてますます人気を集める、高田純次のロングインタビューです!

キャバクラには行かないですよ。クラブには行くけど

―― ミュージッククリップの相手役を探すというコンセプトなんですよね?

もともとは「ケメ子の歌」という歌があって、それが元になっていますから。でも、まだ僕自身今回のDVDを観ていないのよ(笑)。ただ、ロケなどでかなり多くの映像を撮ったから、たくさん映像があると思いますよ。理想のケメ子を探して、メイド喫茶とか。いろいろなところに行ったのよ。キャバクラにも行ったよね。かわいい子もいましたよ。でも、その店がどこにあるのか忘れちゃったから、今後は行くことはないだろうねぇ(笑)。

―― 高田さんってキャバクラに行って遊んでいるイメージがありますよね?

そう? キャバクラで気に入った女の子にテーブルにいてもらうために指名するってことを最近知ったのよ。ここ2年ぐらいかな。放っておくとみんなポンポン変わっていくじゃない。意外に変わるものだなって思ってたけど(笑)。キャバクラって若いよね。プロデューサー連中とはクラブによく行くけど、キャバクラはまず行かない。行ってもオヤジなんて俺1人ぐらいな感じでしょ?  若いよね。女の子もお客さんも。20~30代じゃない?

―― 収録されている映像を拝見している限りでは、楽しそうですけど(笑)

楽しいことは楽しいですよ。撮影は特別な時間帯に行ったけど、時々ヘンなジジイは来ているかも知れないね。今回のDVDのジャケットみたいなジジイがね(笑)。そんなジジイいそうじゃない?  昔はよくギャグで股間から指を出していたけど、いまはどうなのかな? ギリギリなの? これは本物には見えないでしょ? これだったらかわいそうな話だよね。ちょっとアレだよね。せっかくだからCGでグーンと大きくしてもらいたいね(笑)

再ブレイクって言われるけど一度もブレイクしてない

―― まず「ケメ子の歌」でアーティストデビュー、おめでとうございます!

そうそう! 覆面歌手として平凡パンチ名義で「ケメ子の歌」を出して――あれ? まだ覆面ってことになってるんだっけ? 高田純次ってことがバレたら覆面じゃないのかな?  でもこれ、自分の顔が出てるから覆面じゃないよね。俺もすぐバレると思ってたよ(笑)。だいたい1か月ぐらいだったかな。本当は1年ぐらい黙ってて、ちょっと火が付いたときにそこで名前を、ってのが僕の理想だったんだけど。すぐにばれちゃいましたね(笑)

―― 兵藤ゆきさんと曲を出したり、ずいぶん前から歌われていましたよね?

あれは兵藤ゆきが編曲だかなんだかをしていて、俺はあまりタッチしていなかったから、たいして金にならないのよ(笑)。年間300円ぐらいじゃないの(笑)。パチンコ機も出しているんですよ。「CR純次」だったかな。あれはどうなったんだろう?  名古屋にはあったな。いまのブームが来る前に。「CR高田純次」にすればよかったかな? 玉が入ると、兵藤ゆきとの歌が流れるのよ。どうなったんだろう?  すいませんねぇ。アバウトで。

―― 多方面で高田純次ブームが来ていることはどう思われているのですか?

いやぁ、芸能界は厳しいですよ。1か月テレビに出ないと完全に忘れ去られちゃう。高田純次は死んだんじゃないかって、死亡説がね。ただ、最近は再ブレイクって言われるけど、一度もブレイクしていないですよ(笑)。すごいインターバルを空けていたわけじゃないし、合間を縫いながら仕事をしてたから、再ブレイクって変。底のほうでウロウロしていて、最近CDやDVDをバンバン出したけど、数年前に本を出したことが良かったのかな?

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」が基本ですね

―― タレント本の水準を超えた「適当論」は、当時革命的な内容でしたね!

いやぁ、一緒にやっていただいた精神科医の和田秀樹先生がすごかったんですよ! 本を出せば何万部とか売れちゃう素晴らしい人でしょ? だから僕の「適当論」なんて、片手で鼻水プーみたいな仕事だったと思いますよ(笑)。高田純次が本を出したいっていうんで、ちょっと名前でも貸してやるかと。小銭でも入ってくればいいやって思っていたんじゃないのかな。単価が500円ぐらいだからね。それじゃ売れても弱っちゃうよねぇ(笑)

―― ところで、レポーター業ですが、最初からやりたかったのでしょうか?

いや、僕はもともとそんなつもりはなかったのよ。「元気が出るテレビ」だって、最初はコントで入っていましたから。僕が会社員で、兵藤ゆきが同僚。社長が北野武で、部長が松方さんみたいな。会社のコントでやっていこうという企画が、いつの間にか突撃企画みたいになっちゃった。でもね、自分の企画をスタジオで全員で観るのが大変だったの(笑)。おもしろくないとさ。まぁ僕の場合は、おもしろくない場合はなかったけどね(笑)

―― 「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」が、レポーターの原点ですか?

そうだね。1985年頃。あの頃は30代後半だったけど、毎日が楽しくてしかたがなかったですよ。グロンサンのCMをやっていた頃ですよね。行く先々で女の子を全部捕まえられるかなって期待をしたけど、そうでもなかったな(笑)。認知されるのが2~3年経ってから。その後、本業のドラマからお話が来たり、夢だった「イレブンPM」の司会をやらせていただよね。だから、「元気が出るテレビ」が、僕にとっては基本といえば基本でしょうね。

誰も笑わなくなったら、人前でウ○コするしかないね

―― そんな日本一の適当男の今後の目標や課題などはどうなるでしょうか?

裏切っていかないとなって思うことはありますよ。年寄りなのに、尻を出しているとか。岩と岩の間を飛んでくれと言われたら飛ぶみたいなね。これからあと4年生きるのか、5年生きるのかはわからないけれど、きつくなってくることを受け止めていかないとダメだろうね。肉体的にきついことはあるだろうけど、きついって拒否しちゃダメだろうな。ボケないためにもね。まぁ、ボケたほうが、それはそれでおもしろいとは思うけどねぇ(笑)

―― 高田さんでも仕事上で難しいなって感じる瞬間ってあるのでしょうか?

台本に書かれていると意外とダメね。ハダカやTバックになったりするのは、お任せにしておいてほしいよね。バラエティの人はみんなそう言うと思うよ。台本に“笑わせる一言を”なんて書かれちゃうと、なかなか大変。よく貴金属を口の中に入れたりしてたけれど、“食べてください”ってよく言われたもの。この間の「ガキの使い」のディレクターはすごかったな。体を使って自分で全部説明してくれたから。あれ、何の話しだったっけ?

―― 今回は高田さんに憧れている人が多い理由がよくわかった気がします!

年齢だけ大御所になっちゃって、やっていることは小御所だからね。大変ですよ(笑)。本当に。星野監督じゃないけれど、僕自身が生涯、演者でいかないとね。死ぬ間際まで自分がおもしろいことをやり続けて、1人でも笑ってくれる人がいればいいかな。大通りを大手を振って歩いていける商売じゃないし、自分でもそれでいいと思っているのよ。最後の1人が笑わなくなったら、腕刺して血を出すか人前でウ○コするしかないよねぇ(笑)

(C) 2009 PONYCANYON INC.

 

プロフィール

高田純次(たかだじゅんじ)

1947年生。東京都出身。1971年、俳優を志願するも、家族を養うためにサラリーマンに。1977年、「劇団東京乾電池」に入団し、再び俳優活動を再開。やがて、テレビ界に呼ばれ、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の名物レポーターをはじめ、数々の番組で伝説を残す。2007年、還暦を祝して発売したDVD「高田純次 適当伝説~序章・勝手にやっちゃいました~」が大ヒット。適当男の代名詞として、業界内外でカリスマ的な人気を誇る。

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