
篠田正浩監督が松竹で手がけた4作品を収録した「篠田正浩監督作品セレクション DVDボックス」が発売される。収録作品は、『乾いた花』(64)、『暗殺』(64)、『美しさと哀しみと』(65)の松竹時代の若きの日に監督した代表作3本に、後年古巣の松竹で監督した『鑓の権三』(86)を加えた4作品。
1950年代末から1960年代初頭にかけて、日本映画界を席巻した松竹ヌーヴェル・ヴァーグの旗手のひとりだった篠田監督も、『スパイ・ゾルゲ』(03)を最後に現役を退いたが、現在も多岐にわたって活躍中である。篠田監督に4作品を振り返ってもらった。
自分の映画監督としての使命は《日本》を探検すること
――今回発売になるDVD-BOXに収録された作品は、松竹に在籍なさった時代の代表作になった3作品と、80年代になってからの『鑓の権三』の4本です。全部原作ものなんですね。
戦争に敗れた戦後の中で私が映画監督になって、いちばん興味を持ったのは《日本》というテーマなんです。なぜ自分は日本語による日本人としての存在としてあるのか。自分は日本語で考え、日本語でしゃべっているんだし、その文化の中で生活しているわけだから、日本語で作られている文化から目をそらすわけにいかない。そうすると、自分の映画監督としての使命は《日本》を探検することだと思うわけです。だから私の作った作品のすべては《日本探検》であると。日本語の小説を映画化することも同じです。ただ原作から自分が何を得たかというところから組み立てていくので、オリジナルであろうと原作ものであろうと、それは私の映画になるわけですから、区別はありません。
『乾いた花』
オクラになったことが結果的にキャンペーンに(笑)
――『乾いた花』の原作は石原慎太郎さんです。
彼とはその後も長い付き合いになるんですが、『乾いた花』の原作はあまり知られていなかった。彼も賭場とかいろいろ取材したそうですが、私も改めて取材したりしました。
――当時の観客がびっくりしたのは、たぶん池部良さんを虚無的なやくざで起用するというキャスティングです。この映画は日本のやくざ映画の嚆矢ともいえる作品ですが、後年池部さんが『昭和残侠伝』シリーズに出演なさるきっかけにもなりました。
その頃、池部さんは失意のどん底にあった。菊田一夫に舞台『敦煌』に起用されたんだけど、長ゼリフが言えなくて舞台で立ち往生して、役を降ろされた直後だった。池部さんはこの事件で俳優生命が絶たれたと絶望していた。そのときに私が『乾いた花』のオファーをしたのです。松竹は松竹専属の役者を希望していましたが、私はどうしてもやくざ映画のルーティンはいやだった。主人公は、どうしても生きていることがメランコリックで陰鬱な雰囲気を身にまとい、それでいて冷静でクレバーなインテリゲンチャでなければならないと考えていたのです。当時は米ソ冷戦の真只中ですし、60年安保のあとで、時代の閉塞感を主人公のニヒリズムに担わせたいと思っていました。それでいて人を惹きつけるフォトジェニックな存在感がなくてはいけない。それなら今の池部良がピッタリだと。
――加賀まりこさんや藤木孝さんとのコラボはいかがでしたか。
加賀君と藤木さんには、その前に私が監督した『涙よ、獅子のたて髪に』(62)に出てもらっています。加賀君はまだ当時アマチュアみたいなものでしたが、印象的なまなざしをしているし、日本人離れしたフィーリングの言葉を持っていた。藤木孝はナベプロ全盛時代の売れっ子歌手だった。それを松竹が引っこ抜いた。でもほかの監督では彼を扱えないので、私に白羽の矢が立って、彼を主人公にして、加賀君を相手役に抜擢した。その延長で『乾いた花』のキャスティングをしたんです。博奕に溺れる女に加賀まりこ、ジャンキーの殺し屋に藤木孝、それに現代的な虚無をまとった二枚目の池部良。この組み合わせがよかった。
――博奕の場面が多いということで、成人指定になり、8ヶ月間オクラになりました。
シナリオでは博奕の場面は数行しか書いてないのに、私は200カット以上撮りました。ストーリーに拘束されないで、博奕に没入する姿だけを描写することこそが映画的だと思ったからです。見終わったあとにシナリオを一緒に書いた馬場当が「僕が書いた脚本と全然違うじゃない」と叫んだんだけど、その日は映倫審査があった日で、博奕の場面が多いということで成人映画に指定されちゃったんです。そうしたら松竹が「成人映画を作らせた覚えはない」ということで、そのままオクラにされたのです。
――それが8ヶ月後に封切られると大ヒットでした。
怖いもの見たさもあったんでしょう。話題にもなりましたから。オクラになったことが結果的にキャンペーンになってしまった(笑)。
『暗殺』
原作を読んだとき、清河八郎の分かりにくさに惹かれた。
――『暗殺』の原作は司馬遼太郎さんの短編「奇妙なり八郎」です。主人公の清河八郎という人物は曖昧で何を考えていたのか分かりにくいんですが、篠田さんの映画でも魅力的ではあるけれども、何者であったのかよく分からない。
原作を読んだとき、その清河八郎の分かりにくさに惹かれたのです。彼は初めは幕府方についていて、終わりはどうも勤皇方についていたらしい。でも殺されたときはどっちか分からない。その分からなさがテーマだと。人間の本性は分からないものなんです。たぶん、彼は最初は理想に燃えて政治家を志したと思うんです。ところが政治の駆け引きに身を置くことによって、駆け引きすることが面白くなるうちに、政治の理想が消えてしまったんじゃないかと。私は現代の政治家を見ても、みんなそうなんじゃないかと思えます。実はこの作品には司馬さんの原作だけでなく、柴田錬三郎さんの「清河八郎」のエピソードもシバレンさんに許可をもらって使っています。シバレンさんは清河八郎の遠縁(夫人の大叔父が清河八郎)ですね。
――この作品は時代劇なので、松竹京都撮影所で撮影されました。
その頃は映画界も斜陽になりはじめ、松竹も太秦にあった京都撮影所を閉鎖することになった。私はキャメラマンと二人で東京から乗り込んだんですが、京都撮影所のスタッフが有終の美を飾るんだということで、頑張って豪華なセットを組んでくれたりしたんで、クレーンを使って派手な見せ場も撮影できました。今思うと贅を尽くした絢爛たる幕末史スペクタルになったと思います。
『美しさと哀しみと』
「これで本格的な《日本探検》をやるんだ」という気持ちに。
――『美しさと哀しみと』では意外や川端康成さんの原作です。
これは会社からやれと言われた作品です。そのとき私は世界旅行から帰国したばかりだったので、「これで本格的な《日本探検》をやるんだ」という気持ちになりました。この作品は「雪国」や「伊豆の踊子」のように人口に膾炙した作品ではないのですが、構造は「雪国」に似ている。京都と鎌倉の二都物語を新幹線でつないでいく。もちろん原作には新幹線は登場しませんが、列車に乗ってトンネルを抜けるとそこは駒子のいる雪国であるという構造はそっくりです。それと和宮の墓を発掘したときのエピソードが出てきます。そのエピソードがまた曖昧で、物事のはっきりしない謎めいたところに私は惹かれたのです。ある意味でいえば、川端さんの心象風景なんでしょうが、私なりに川端文学を映像にして作り変えていこうという野心に燃えました。
――川端文学が持つ古典的な日本の美とフェティシズムな倒錯したエロスが、フォトジェニックな映像で暗示的に描かれていました。
モノクロ映画が続いたあとのカラー作品でしたからね。キャメラマンとも話し合って、撮影は全篇望遠レンズにしようと。芝居する人だけにフォーカスを当てて、周囲を全部ボカしてしまう。そうすると、そのボケ足が美しいファンタジーのようになるんではないかと思いました。
――結局、加賀まりこが「右の胸はダメ」だの「左の胸はダメ」だの言う理由が最後まで分かりませんが、篠田さんなりの解釈はあるのですか。
私にも分からない。分かろうとしない勇気も必要なんです。映画は数式を解くわけじゃないんですから。それが私の松竹時代の全作品に通底するテーマですかね。人間は本来曖昧な存在なんです。
『鑓の権三』
近松が書いたのは元禄という現代なんです。
――近松門左衛門ということで、当然篠田監督の代表作である『心中天網島』(69)を連想するのですが、当然予算も違うし、方法論も違います。
私は大学時代に近松を学び、歌舞伎の伝統のある松竹に入ったわけですから、当然映画監督として近松の映画を撮ることは使命だと思っていました。『心中天網島』はATGとの1千万映画ですから、ローバジェットですが自由なので前衛的なことができた。それでも結果的に観客の知的好奇心を刺激して大ヒットした。『鑓の権三』になると、予算が増えたぶん、キャスティングも郷ひろみ君をはじめネームバリューのある方を揃えることができた。原作には権三は「油壺から出たようないい男」とあるんです。それに郷君はミュージシャンなのでとても耳がいい。次に私は森鴎外の『舞姫』(89)で彼と一緒に仕事をするんですが、彼はドイツ語を短期間で完璧にマスターした。セリフも自分の中にあるリズムに乗っけることができる。近松も浄瑠璃ですから、いわばミュージカルですからね。映画と音楽は同じ種類の時間芸術なんです。
――前衛的な『心中天網島』に比べて『鑓の権三』は正攻法なんだけど、モダンな印象をもたらします。
近松が書いたのは元禄という現代なんです。だからそこには今の時代にも通じるなまないしい現代がある。『鑓の権三』というのは、鑓の名人である武士が鑓を使えなくなった笹野権三という平凡な侍に甘んじなければならないというアイロニーでもあるわけです。武士も武術だけでは生きてはいけない世の中で、出世をするためにお茶を習ったりしなければならない。今の会社だって同じでしょう。近松はそこをちゃんとつかまえながら、時代を俯瞰し、その中で展開する男女のカップリングの中に凝縮する悲劇を描いているわけです。私はそれをしっかりとらえたいと思いました。
――最後に篠田監督にとって松竹とはどういう存在ですか。
松竹というフィールドがなければ、今日の私の存在もないし、この4本の映画も存在しない。今では独立プロでやった年月や作品数のほうが多くなっていますが、私の実家は常に松竹だと思っています。
プロフィール
篠田正浩
1931年3月9日岐阜生まれ。1953年、早稲田大学第一文学部を卒業し、松竹大船撮影所に入社。 1960年、『恋の片道切符』で監督デビュー。2作目の『乾いた湖』(60)では、60年安保只中の青春を描き、大島渚、吉田喜重らと共に“松竹ヌーヴェルヴァーグ”として注目される。寺山修司(1935-1983)と親交が深く、寺山の脚本による『乾いた湖』(60)、『わが恋の旅路』(61)、『夕陽に赤い俺の顔』(61)、『涙を、獅子のたて髪に』(62)の4作を監督。その後『乾いた花』(64)、『暗殺』(64)などを続々と発表するが、1966年、松竹を退社し、1967年、独立プロ『表現社』を妻の岩下志麻と共に設立し、自主製作を始める。
『鑓の権三』で1986年度ベルリン映画祭・銀熊賞を受賞。1969年、近松門左衛門原作『心中天網島』では、その年の映画賞ベストワンを独占。1990年の『少年時代』で日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞受賞。その他の代表作に、『沈黙』(71)、『化石の森』(73)、『はなれ瞽女おりん』(77)、『夜叉ヶ池』(79)、『瀬戸内少年野球団』(84)、『舞姫』(89)、『写楽』(95)、『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』(97)、『梟の城』(99)など。03年『スパイ・ゾルゲ』を最後に監督業を引退。
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